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​はじまりの羽音

「かえる! おうちかえるー!」


 入園第一日目の朝、泣き叫ぶ男児の声が園庭中に響き渡っていた。


「なおくん、いい子だから、ねっ、行こうよ幼稚園、楽しいよ」
「やだ! たのしくない!」


 本日めでたく入園式の日を迎えたなおくんこと浅岡如(あさおか・なお)は、母親の必死の呼び掛けもむなしく、頑として動こうとしない。


 思い返せば、如はここ数日ずっと機嫌が良く、もうすぐようちえん! と言っては通園服や鞄や持ち物を何度もチェックしたり、おともだちできるかな、とワクワクに胸を躍らせている様子だった。


 それなのにいざ園の目の前まで来たとたん、急に母と離れがたくなったのか大声で泣き出してしまったのだった。


「さっきまでごきげんさんだったのに急にどうしたの~……」


 ほとほと困り果てた母がいよいよ一旦連れ帰るかと決心しかけたそのとき、ひとりの男児が如に近づいてきた。如よりも少し身長が小さいようだが如といっしょの制服を着ているのでどうやら同じく本日祝ご入園の園児であるらしい。


 それが、浅岡如と鮎沢聖(あゆさわ・しょう)の出会いだった。


「ん」


 と言って差し出した聖の右手には葉っぱのようなものが握られていた。突然の出来事に呆気にとられている如に、もういちど「ん!」と右手を差し出す。


 わけもわからないままその葉っぱを受け取ると、聖は裏庭の方を指して


「あっち」


 と言った。そしてびっくりして固まっている如の方を振り向きもしないで、聖はすたすたと「あっち」へ向かって歩き出した。


「まって!」


 如は葉っぱを握り締めたまま聖を追いかけた。つい先刻まで泣きわめいていたことなんかすっかり忘れているようだった。

 脇目もふらずずんずん歩いていく聖の背中を如は必死に追いかけた。まってと何度か声をかけたが待ってはくれなかった。カラフルなペンキで彩られた園舎の角を曲がると、そこには金網のフェンスを組んで作った小さな小屋があった。


 聖は手に持っていた葉っぱをフェンスの六角形の網目に差し込んだ。すると、小屋の中でばさっと音がして何かが動く気配がした。如がその音にびくりと体を震わせ、聖の後ろに隠れて様子を伺っていると、小屋の奥から美しい色をしたセキセイインコが二羽飛んできて、フェンスにとまり器用に葉っぱをついばんだ。一方はアクアマリンの水色、もう一方はペリドットの黄緑色だ。


「わあ、きれいなとり」


 宝石みたいにキラキラした羽の色を、聖も如も夢中になって見つめていた。


 如も聖の真似をしておずおずと葉っぱを差し込むと、水色のほうのセキセイインコがそちらへ移動して、くちばしで葉っぱをつついている。


「あっ、たべた」
「あのね、あげてもいいはっぱとあげたらだめなはっぱがあるんだよ」
「なんで?」
「おなかこわしちゃうから」
「そっか」
「あしたもくる?」
「うん」


小鳥の食事を眺めながら簡単な言葉を交わしたのが、聖と如の最初の約束だった。


***


「ていう超エモい話があるんだけどさぁ、聖ちゃん全然覚えてないって言うんだよねぇ」


 如がため息混じりにそうこぼすと聖はまたかぁ、という気分になった。なぜかこの話が好きな如がことあるごとに色んな奴に語って聞かせるのだ。


「なにが超エモいだ。てか俺が覚えてないのをいいことにちょっと盛ってるだろ」
「俺は本当にショックだよ。あんな漫画みたいな出会い方そうあるもんじゃないよ、なのに覚えてないって」
「幼稚園の記憶なんかそんなないだろ普通。ハルは覚えてんの、幼稚園の初日のことなんて」


 聖は面倒になってきたのでハルに振った。ハルはしばらく考えていたがそのうち「ん~……覚えてないかな」と言った。


 ハルこと岸康晴(きし・やすはる)とは、中学も一緒だったが高校ではじめて同じクラスになった。最初、聖と如のいつも通り下らなくて何気ない会話を、たまたま近くにいたハルが聞くともなく聞いていたらツボに入ってしまって大変だったことがきっかけで、それからなにかと3人で一緒にいる時間が増えた。ハルという呼び名は、同じクラスの安井がヤスって呼ばれてるからじゃあハルにしよう、と如が言い出したのだった。


「だよなー」
「面白いよなあお前らって、正反対なのに仲良くて」


 ハルにそう言われて聖と如は顔を見合わせた。


「そう? まあでも確かに聖ちゃんはちょっと変だから見てて飽きないよ」
「いやそれ丸ごと俺のセリフだから、お前だからちょっと変なのは」
「……やっぱ前言撤回、似てるわお前ら」


 そう言いながらハルは、トランプゲームの神経衰弱で終盤、覚えきれずに当てずっぽうでひっくり返したカードがたまたま揃ったときの感じを思い出していた。


「あっ、やば! 次移動だった」


 慌てて立ち上がって3人でダッシュしているときに、このなんてことない日々のことを何年後かに不意に思い出したりするのだろうかと、ハルはなんとなく思った。


***


♪サン=サーンス「動物の謝肉祭」より
大きな鳥籠

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