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浅岡珈琲店

月の光とブレンドコーヒー

 駅前の大通りから細い路地に入ると雑踏がだんだん遠ざかって、1、2分も歩くと先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになった。心の隙間をガサガサと埋めようとする雑念も静寂にスッと溶けていくような気がして安心する。支倉修平は考え事をしたい時、あるいは何も考えたくない時にこの辺りの道を散歩することにしていた。

 似たような造りの一軒家が建ち並ぶ通りをまっすぐ進むと、お気に入りの喫茶店がある。

 看板も表札も出ていないその店は、意識しなければ気付かずに通り過ぎてしまいそうなほど周囲の民家に溶け込んでいた。修平も何度か店だとは思わないで通過したことがあった。ある時、洒落たステンドグラスがはめこまれた扉から店内の明かりが漏れていることに気付き、そこで初めてドアノブに「浅岡珈琲店 営業中」と小さく書かれた札がかかっているのを見つけたのだった。

 最初は入店するのにも勇気が必要だった。なにせネットで検索してもどこにも載っていないのだ。今時そんな店があるのかと、懐かしい気分になったものだ。そんなことを思い出しながら修平はドアを開けて店内に足を踏み入れた。

 この店はドアベルをつけていないので、カランカランという喫茶店特有の入店音はしない。代わりにピアノの音色がコーヒーの良い香りと共に流れてくる。今日はドビュッシーの『月の光』だ。

 浅岡珈琲店には今流行りのテイクアウトコーヒーやデコラティブなスイーツはないし、かといって昭和の香り漂う純喫茶の風情もない。店内には珍しいデザインの小さなシャンデリアが一つと、テーブルをさり気なく飾る観葉植物やこまごまとした雑貨はあるものの、他にこれといった目立つ展示も華美な装飾もない。

 ただ、一枚板のカウンターテーブルや座り心地を重視した椅子、年季の入ったコーヒーミルやポット、グラスにカップも、「少しだけ良いもの」を揃えているのがわかる。白とオーク材の木目を基調とした内装にすっきりと馴染んで見えるそれらのものたちは、常連客が安らぎを得る邪魔になるような主張はしないが、店主のこだわりによってひとつひとつ丁寧に調達され大切に手入れされているのが見て取れた。それでもどこかいつもの生活からはほんの少しだけ切り離された、ちょうど日常と非日常の隙間にぽっかりと浮かんでいるような不思議な空間だと修平は常々思っていた。

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